【イベント】「妖魔と少年の魂」(後記)

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山を下りた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。

峠を越えた先の小さな宿場町は、夕餉の支度を始める人々の声と、どこか香ばしい匂いに包まれている。妖気に満ちた廃村とはまるで別世界のような穏やかな光景だった。

宿へ辿り着くなり、おさきは机へ身を乗り出した。

「いただきますっ!!」

目の前には串団子と饅頭、それに湯気の立つ温かな茶。

おさきは嬉しそうに団子へかぶりつく。

「んーっ! おいしいっ!」

頬を緩めながら、もぐもぐと幸せそうに咀嚼する姿に、玄道は静かに茶を啜った。

「そんなに慌てて食べると喉に詰まるぞ」

「だって、ずっと食べたかったんだもん!」

おさきは饅頭を両手で持ちながら、さらに目を輝かせる。

「甘いものって、どうしてこんなに幸せなんだろう……」

「煩悩の味というやつだな」

「ええっ!? 甘いものって煩悩なの!?」

「美味いと思う心そのものは自然なものだ。だが、執着し過ぎれば苦しみの種にもなる」

「むぅ……」

おさきは少し考え込み、それから饅頭を一口かじった。

「でも、今日くらいはいいよね?」

「……まあ、今日くらいはな」

玄道の言葉に、おさきはぱっと笑顔になる。

しばし、穏やかな時間が流れた。

障子の向こうでは虫の声が響き、旅籠の廊下を歩く客の足音が時折聞こえてくる。

おさきは湯飲みを両手で包みながら、ぽつりと呟いた。

「三吉、お父さんとお母さんに会えたかな……」

玄道は静かに目を閉じる。

「会えたと思いたいな」

「思いたい、なの?」

「死後の行き先は、誰にも確かなことは分からぬ。
 極楽浄土を説く者もいれば、輪廻転生を説く者もいる」

玄道はゆっくりと言葉を続ける。

「だが少なくとも、あの子は怨念より解き放たれた。
 苦しみに囚われたまま彷徨い続けることは、もうないだろう」

おさきは静かに頷いた。

廃村で出会った少年。

両親を待ち続け、空腹すら理解できぬまま、独りで留まり続けていた魂。

思い返せば胸が締めつけられる。

「でも、最後は笑ってたよね」

「ああ」

「雑炊、おいしいって言ってくれた」

「そうだな」

おさきは少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

「あの時の三吉、本当に普通の男の子みたいだった」

「元々、そうだったのだろう」

玄道は茶を置く。

「妖魔に奪われた命も、怨念に囚われた魂も、元は皆、普通に生きていた人間だ」

「…………」

「故に、ただ討つだけでは足りぬ時もある」

おさきは玄道を見上げた。

「救う、ってこと?」

「うむ」

玄道は静かに頷く。

「仏の教えでは、善行は巡り巡って功徳となる」

「くどく?」

「善き行いによって積まれる徳のことだ。
 困っている者へ手を差し伸べることもまた、功徳の一つ」

「じゃあ、三吉を助けたことも?」

「無論だ」

玄道は穏やかに言う。

「もっとも、功徳とは見返りを求めて積むものではない。
 ただ目の前の苦しむ者を救いたい、その心こそが大切なのだ」

おさきはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

「それって、玄道みたいね」

「……どういう意味だ」

「だって玄道、いつもそうだから」

おさきは団子を揺らしながら笑う。

「困ってる人がいたら放っておけないし、危ないことでも助けに行っちゃうし」

「法力僧として、救世を求める者として当然のことをしているだけだ」

「でも、三吉のこと心配してたよね?」

「…………」

「“子を独りで泣かせておくのは忍びない”って言ってたじゃない」

玄道はわずかに目を逸らした。

「……覚えていたか」

「うん!」

おさきは嬉しそうに頷く。

「玄道は優しいね」

「そういうものではない」

「そういうものなの!!」

きっぱりと言い切られ、玄道は小さく息を吐いた。

その様子がおかしかったのか、おさきはくすくすと笑う。

笑い声の残る部屋は、どこか温かかった。

外では夜風が吹き抜けている。

だが、今宵はもう妖気の気配はない。

怨霊の結界は滅び、彷徨っていた魂も天へ昇った。

それでも――世にはまだ、多くの苦しみが残っている。

救いを求める者も、妖に脅かされる者も、きっとどこかにいるのだろう。

玄道は静かに窓の外を見た。

「……明日も早い。そろそろ休むぞ」

「はーい!」

おさきは最後の団子を頬張る。

「次の旅では、どんな人に会えるかな!」

「さてな」

玄道は小さく微笑む。

終わった旅もあれば、これから始まる縁もある。

そうして人は出会い、別れ、また歩いていく。

――二人の旅はまだ始まったばかりだ。